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小説 / エッセイ etc. twitter: @_sakurai_m

愛の夢 #2

愛の夢#2

 


世界が終わる深夜に、牛丼屋へ行った。

朝の4時に、誰も彼も、犬も猫も、貧しいも富めるも、木々も花々も、傷みも喜びも、海も山も、空も大地も、何もかもが一切合切、なくなるらしかった。

今までも様々な文明の予言や地震予測などがなされ、すべて嘘だったとわかってきた。

けれど今回は予言や予測ではなく、科学的に証明され、全世界に偉い人たちがきちんと発表し、ゴールデンウィークもお盆休みもなかった私の会社も、正式に長い休暇をくれた。

本当に夜明けごろ、世界は終わるらしかった。

近くには地味な女子大がある。その周りには多分その女子大生たちがアルバイトをしているスナックが点々としている。

安いアパートばかりのこの辺りでは、コインランドリーと、この牛丼屋以外、灯りが見えない。

この牛丼屋の店長はとてもこんな最後の日まで真面目にお店を開くタイプに思えなかったから、ダメ元で歩いてここまで来たけれど、あかあかと光る看板が見えた時、牛丼屋のこういうところが私の心を温めていたと思い出した。

「いらっしゃいませ。」

出迎えたのは店長ではなく、若いアルバイトの男性だった。

 

あの人は店内にいなかった。

 

店員が持ってきた水を眺めて、1時間が経った。

BGMがない牛丼屋は、夜の学校みたいな雰囲気がある。

静かで、少し怖かった。

明るい木の枠と、ピンクベージュの生地でできた椅子。白いテーブル。

看板はあかあかと光っていたけれど、室内は小さな真っ白な電球1個しか灯りがないから薄暗い。

 

あの人はこない。


店員がボーッと北側の窓を眺め続けるので、私もボーッと同じ方向の窓から空を眺めていた。

「何も頼まないんですね。」

だからずっと同じ方向を見てると思っていた店員が、私を見て話しかけてきた時、椅子と机をガタガタと鳴らして驚いてしまった。

最後の日だから、何も頼まずに居ることが許される気がしていた。

まあそうか、何か頼まなくちゃいけないか、と思いメニュー表を広げようとすると、

「ただですよ。世界は終わるし、店員は僕だけだから。食べればいいのに。」

と店員が言った。

なんだ、そういうことか、とメニューを閉じると、店員はカウンターから出てきて私と少し離れた客席に座り、また北側の窓を眺め始めた。


あの人はこない。


水のカップには結露が流れ、置いてある場所には水たまりが出来上がった。

なんとなく、最初に世界が出来たときは、こんな風に始まったんじゃないかと思った。

半分程水を飲み干して、机に突っ伏した。

「少し、寝ます。」

私が急に喋ったのに、店員は驚かず、

「いい夢を。」

と言った。なぜ店員に話しかけたかは自分でも分からなかった。

 

あの人はこない。


恐ろしく眩しい光の渦を感じて目を覚ました。

店員は同じ席に座って、まだ北側の窓を見ているようだった。

北側から大きくて目を開いていられないほど明るい光が迫っていた。

時計を見ると午前4時を指しており、あ、終わりだ、と思った。

 

あの人はいない。


「2人で、コンビニの準夜勤をしていたの。」

店員は、私がいつ突然話し出しても全く動揺しない。ゆっくりとこちらを振り返った。

逆光で彼がどんな表情をしているのか全く分からない。

「だから、その後からデートすると、ここか、ラーメン屋しかなかったの。」

店員が何かを言った気がするけれど、よく聞こえなかった。

耳がピーンとして、宇宙はこんな感じだろうかと思える程音が感じられない。

もしかしたら私が言っていることも、店員には聞こえていないのかもしれなかった。

店員は立ち上がって、近づいてくる。

「色気がないけれど、たのしかったの。」

 

あの人はきっともういない。


「待っていたんですね。」

目の前に来た店員の口がそう動いたように感じた。

「痛かったり、熱かったり、苦しいかな。」

もう光に包まれて何も見えない中で、私は店員と互いの両手を握り合い、本当に世界は終わるんだ、あなたにもう一度会えないまま、と思った。

「大丈夫。」

店員の声が聞こえた。

思ったよりもがっしりとした手も、全く知らないもの同士なのだと思ったら頼りなく感じた。

「大丈夫。」

もう一度聞こえて、私たちはフワフワと浮き上がって行く。